先週の武道館ライブで

先日、武道館で行われた某バンドのライブに足を運んだ。10代20代前半のファンが多いアイドルバンドのようだが、楽曲はドラマチックでワクワクさせられる、ヴォーカルの声が特徴的で魅力的なバンドだ。なので、ずっと生で聴いてみたいと思っていた。

長年好きでいるスピッツというバンドは、生の演奏と歌が素晴らしい。デビュー当時から比べると声は歳をとったが、いまだに高音は伸びやかで逆に歌唱は上手くなっている気がする。
人気のあるバンドのためライブ会場は広く、座席からは演奏の姿や顔など一切見えない。それでもいい。あの演奏・声が聞けるなら、顔なんてどうでもいい、と思えるほど素晴らしいライブをする。

そんなライブの良さを実感したく、生演奏に大きな期待を抱き、若者にまぎれて某バンドの武道館ライブへ行った。

結果、生演奏はやはりいい。音が身体に響いて、全身で聴いている感覚はとても心地良い。しかしだ、ヴォーカル、どうした…声が出ていないではないか…。あれは事故レベルだった。本来なら延期すべきな喉の状態での強硬突破、事情もあるのだろうが、酷かった。

でも、言いたいことはそういうことではない。

恐らく、本人たちもそうなることがわかっていて実行したのだろう。何とかなるかもしれないと、期待もあったかもしれない。でも結果はやはり酷かった。しかし、後のニュースではその事実は一切伝えられない。本人たちからのコメントはない。ただ、楽しかった、と。
音楽関係者も見ていてビビっただろう。記事にしづらいわ!と思っただろう。いや、そう思われるだろうと思っている本人たちが、この結果に一番ビビっているだろう、プロとして相当恥ずかしいだろうな…と勝手に想像してしまった。

本題はここからです。
彼らの恥ずかしさを勝手に想像して、まるで自分がその立場になったような感覚になり、恥ずかしくて堪らなくなってしまったんだ。言い訳してくれ、言い訳してくれたら楽になるのにと感じ、恥ずかしくて、辛くて、眠れなくなってしまった。これを、「共感性羞恥」という。この感覚を持っている人は、全体の10%程度いるらしい。

人間もナマモノだから、良くない時もあるのは当たり前で。失敗は誰にでもある。だから、次回のライブで返上していただきたい。変わらず応援しています。今回は、特別な感覚を味わさせてもらったので、感謝です。

というお話。